2ちゃんのまとめサイト見てたら「無防備マンが行く!」という漫画のアフィが載ってた。
皆知ってる作品なのかもしれないけど、初めてこの本の表紙を見た僕は、きっと非暴力主義の左翼のことを右翼が揶揄して描いた漫画かと思った。だって表紙のおじさんの顔が悪意を感じさせるほど脳天気なんだもの(笑)。 でも暇だったのでネットで公開されてるのを読んでみたら違ってたのね。まじめに反戦非暴力をうたってる作品でした。すみません。 ネットではこの作品に対して批判も多いようで、売国奴、反日とか言われてる。日本を無防備にして侵略させようとする中韓の陰謀だとか。でも僕が読んだ感じでは、作者は純粋に平和を願っているように受け取られるな。 しかし論理展開が破綻してますよね。この漫画はジュネーブ条約の第1追加議定書第59条2項を論拠にしているそうですが、実際の条文は下記のようなものです。 紛争当事国の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地で敵対する紛争当事国による占領のために解放されているものを、無防備地域と宣言することができる。 こりゃ、戦争が起こった後に、降参して明け渡しますから攻撃しないで下さい、と言ってるだけですね。別に戦争が起こる前に無防備地域と宣言すれば戦争は回避できるっていうこの漫画の論拠にはならない。 実際のところ戦争は相手から奪いたいものがあるから行うわけで、無防備な相手なら攻撃せずに奪ってお終いですよね。別に戦争が目的で戦争起こすわけじゃありませんから。軍需産業の振興とか国家の威信を示すためとかもありますけど、メインの理由にはならないです。 無抵抗、非暴力による平和実現の象徴にはイエス・キリストがいますが、彼の場合は侵略されて奴隷にされて自由が奪われても、神さまを信じてさえいればハッピー、自由、天国に行けるっていう教えです。新約聖書読めばわかりますが、最初イエスは神さまを信じてさえいれば誰でも天国に行けるっていう教えで人気が出て、もしかしてローマ帝国の支配からイスラエルを開放してくれる救世主なんじゃないかと民衆に期待され担ぎ上げられるんだけど、どうやらそうじゃない、裏切られたと民衆に思われて逆ギレされて死刑になっちゃうんですよね。でも三日後に復活して最終的にはイエスが勝つ、正しかったという教えです。 でもキリスト教徒は世界中で戦争して宗教界じゃ一番沢山の人を殺しているじゃないかとうい意見もありますが、それはあくまで「キリスト教」の話しであって、「イエスの教え」じゃないんですよね。 聖書は旧約聖書と新約聖書の2つにわかれていて、イエスの教えが書かれているのが新約聖書なんですが、旧約聖書の方はユダヤ教の聖典で、ヤハウェというイスラエルの軍神が敵対する民族を皆殺し(聖絶)にしろと命じている恐ろしい書物なんです。現代のパレスチナ問題の根底にもある非常に問題のある宗教です。それを刷新したのが平和の主イエス・キリストの新約聖書なわけです。 そのイエスの教えは古代ローマでも非常に人気が出て、ローマ帝国としても帝国支配に利用したくなった。しかし無抵抗、非暴力は軍事的に骨抜きにされてまずい。そこで三位一体という教義を作って、旧約聖書のイスラエルの軍神ヤハウェと新約聖書のイエス・キリストは一体の存在なんですよということにして、軍事的攻撃を正当化しちゃったんです。それに異を唱えるものは異端として排除するぞと脅して。その後の歴史は十字軍とか魔女狩りとか植民地支配、世界大戦、イスラムとの戦争と凄惨なキリスト教世界の歴史があり現代も脈々と続いているわけです。 じゃあ、平和のためにはどうすればいいのよ、と絶望的な気持ちになりますが、ここでイエス的な発想の転換が必要になると思います。平和じゃなくっていいんですよ。世界が平和であって、かつ奪い合いもない、なんてことは地球上の資源は有限なんですから物理的に不可能です。無い物ねだりしてもしょうがないんですよ(まあ新エネルギー開発とかでその上限を上げる努力は平和維持に貢献しますが)。 奴隷になってもいいから、貧困にあえいでいいから神さまを信じて争いはやめましょうと。復讐は神さまがして下さいます。そうすれば死んだら天国に行けるし、生きている今も天国にいる幸福な気分になれる。今自分が持っている物だけで満足する、他人の物まで欲しがらない、もし他人が寄こせと言ってきたらはいどうぞと差し上げる。これがイエスの教えで絶対的な平和への道だと思います。それ以外方法はないんじゃないかな? 僕には人権や自主独立、私有財産を保存しながら平和を求める思考はファンタジーとしてしか楽しめない。リアルな覚悟としては奪われても奴隷になっても殺されても平和を壊すことはしたくない、かな。 #
by Nathaniel_Figtree
| 2013-12-30 10:14
「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機 森達也
僕は自分の子供が殺されたら、自分が死刑になってもいいから犯人を自分の手で殺したい。 森達也だって実際自分の子供が殺されたらどうなるかわからないだろう。 「死刑」の中で牧師と対談しイエスなら死刑を止めろと言うだろうと話してたけど十字架こそ死刑ではないか。イエスなら死刑囚にこの世の罪はこの世で償いなさい、そして私の王国に来なさいと招かれるだろう。いや、日本じゃ99%がノンクリだから招くじゃなくて誘うだな。 思い出されるのは光市母子殺害事件で犯人が父親に向かって、天国では自分も被害者も父親も仲良く暮らせるでしょう、と狂った発言したことだよな。犯人はクリスチャンだったらしい。 キリスト教では父なる神とか言うけど、父母、男女と二分化している時点で不完全だよね。まあ家父長的な当時としては父、男が完全な存在と考えられていたからだろうけど。 父なる神なんて天動説、創造神話の次に葬り去るべきだよね。父なる神のその向こうにある真なる神への信仰。 #
by Nathaniel_Figtree
| 2013-10-14 10:08
クリスチャンは父なる神と子なる神イエスと聖霊は一つであるという三位一体という教義を信じないと異端とされる。ものみの塔とかモルモンは三位一体を否定しているらしい。
しかし三位一体をきちんと説明できるクリスチャンなんて会ったことがない。神父ですらそれは信仰の神秘ですとかはぐらかす始末。結局誰もわかってないのよね。 そもそも三位一体なんて聖書のどこにも書いてない。ローマ皇帝が帝国支配のために公会議を開いてこれが正統の教義っ!と強引に決めたらしい。それに従わない奴はみな異端ってんだから乱暴な話。 僕が思うに三位一体って戦争を正当化するための教義だよね。父なる神と呼ばれる神は主に旧約聖書で描かれるんだけど、それはもろイスラエルの軍神で敵は女も子供も皆殺し、聖絶せよって命じる悪魔。対して新約聖書のイエスは、右の頬を打たれれば左の頬を差し出しなさい、敵を愛せよという徹底した平和主義者。誰でもイエスはいい人と認めざるを得ない。 だから教会はまずイエスの物語を小冊子なんか作って人々に語って、イエスは絶対的にいい人、彼に従いなさいと説く。そして入信したら三位一体を持ち出して、イエスと父なる神は同一で、神の御旨に背くものには罰をとかって戦争を肯定するわけ。聖霊はオマケね。二位より三位の方がバランスいいし。 クリスチャンはわけもわからず三位一体を強制的に信じるにふりをさせられて大変ね。ご苦労様です。 #
by nathaniel_figtree
| 2013-10-13 14:50
現時点の報道では、ごく少量の情報しか流れていない。
容疑者の兄弟はロシア・チェチェン系で紛争を避けるため米国に移住してきた移民で、兄はアメリカ人の友人がいない、アメリカ人が理解できないと以前語っていたという。また自らをムスリムとネット上で宣言していたという。イスラム教過激派との関与はわかっていない。 以上の情報から個人的に感じるのは、容疑者の孤独とアイデンティティーの喪失、社会への苛立ち、である。そしてそれが破壊衝動を駆りたてテロへと容疑者を向かわせたのではないだろうか? 社会の中で極度な孤独、自己同一性の喪失を感じるというのは、日本でもありうる。過去何件も衝動的な通り魔無差別殺人事件が起こっているが、それらの犯人に共通するものを感じる。 しかし日本の場合、アメリカのようにキリスト教対イスラム教という宗教的な対立は生じないので、今回の事件もどこか彼岸の火事のように感じている人が多いのではないだろうか。 多くの日本人は自らを無宗教と考えている。 しかしそれは日本人の多くが宗教をよく理解していないだけの話だ。一般的な感覚として宗教とは新興宗教やカルト宗教のことを指すと考えられている。確かに新興宗教の勧誘は目立つし、カルト宗教は事件を引き起こし社会問題となったりして意識に上りやすい。だが宗教とはそういうものだけではない。 ほとんどの日本人は正月は初詣に行き、お盆は墓参りをし、クリスマスはパーティーを開き、結婚するときはチャペルか神前を選択し、子供が生まれたら七五三を祝い、死んだら葬式をして墓に入ることをごく当たり前のこととして行っている。いや、それは単なる生活習慣で宗教的な意味はないと言う人も多いだろう。が、ではやめてしまっていいのだろうか? 親が死んでも葬式も上げず、墓にも入れないなどということが考えられるだろうか? よっぽどの筋金入りの無神論者でない限り、そんなことは絶対ないはずだ。それらは立派な宗教行事、儀式である。 人は何者で、どこから来て、どこへ行くのか、そして現在どこに立っているのか、突き詰めて考えると実はそれらのことは科学や哲学でも分かっていない現在も研究中のことだ。それに超越的な直観的な答えを与える体系が宗教である。宗教なくして人は正常を保てず生きていけない。 豊かで社会が安定しているうちは、宗教をことさら意識しなくても日々を過ごすことができる。死への恐怖や生存の不安、自己認証は社会、とりわけ会社、学校組織が与えてくれる。しかし日本も徐々にそれらの組織が崩壊し社会的に不安定になってきている。特に懸念されるのがTPPにより労働力の流動性、グローバル化が高まり、移民、外国人労働者が激増することが考えられる。 今まで日本という国は単一民族で均質(実際は違うが)と思われていたのが崩壊する。日本独自の神道と仏教とキリスト教をミックスした宗教が、異宗教の移民達から見れば理解不能で排他的なものと映るだろう。さらに現在は韓国、中国に向けられている日本のレイシストの矛先がそれら移民たちに向くことも容易に想像される。となれば今回の米国の事件のようなことも日本で発生することが予想できないであろうか? 一番恐ろしいのは無自覚なことである。日本人の悪いところは、自分達は宗教を持たず、宗教的には寛容であると勘違いしていることである。TPP参加を前に日本人は自らの文化、宗教を見直し、自覚し、今後異なる文化、宗教の人達とお互いを認め合い、共存していくことを真剣に考えなければならない。 #
by nathaniel_figtree
| 2013-04-20 11:41
新自由主義やグローバリズムは人間社会を野生の弱肉強食の世界に引き戻す働きがある。
むき出しの欲や闘争心のぶつかり合い。 野生の世界では人権などない。 だから世の中は人権無視の方向に動いている。 それもまた自然な流れである。 ユニクロやワタミなどのブラック企業の経営者がもてはやされるのも不思議なことではない。 皆自然を謳歌しているのだ。 自然の向かう先は人類の滅亡だ。 人類は消失すべき存在。 宗教はもはやブレーキにならない。 むしろ原理主義化して殺し合いの精神的支柱の役割を果たし各地で紛争のアクセルとなっている。 スピンドルが唸りを上げフルスロットルで破滅に向かう人類のエンジンの爆音が聞こえる。 #
by Nathaniel_Figtree
| 2013-03-30 04:49
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